第三回ドバイ国際スポーツ会議 (1)
ドバイ国際スポーツ会議は、ドバイ・スポーツ・カウンシルの議長を務める、ドバイ皇太子シェイク・ハムダン・ビン・モハメッド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥーム殿下(以下ハムダン殿下)の後援のもと、5月31日と6月1日の両日、インターコンチネンタル・フェスティバル・シティにて開催されました。
ドバイ・スポーツ・カウンシルは、ドバイに於けるスポーツの振興、スポーツ環境の整備、とりわけユース世代の才能と適性を見出し、彼らが地域(ドバイ)のみならず国家(UAE)を代表して、国際レベルでも活躍できる道を創り上げることを目的として、ハムダン殿下の父上で、ドバイ首長・UAE副大統領のシェイク・モハメッド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥーム殿下(以下モハメッド殿下)によって2005年11月30日設立されました。
自らが馬術の名手でアジア大会など数々の国際大会の金メダリスト、ハムダン殿下とドバイ・スポーツ・カウンシルは、ドバイを世界のスポーツ・キャピタルへと導く計画を着々と進め、地域の草の根スポーツから、ビーチ・サッカー、アジア予選のような国際大会まで幅広く開催して、競技人口と観戦人口の拡大を図っています。またスポーツ産業とプロフェッショナリズムの強化を目的として、毎年ドバイ国際スポーツ会議を開催しています。
(中)ドバイ皇太子、ハムダン殿下 (右)ドバイ首長、モハメッド殿下
オープニングに、ドバイ・スポーツ・カウンシルを代表して、アテネ五輪射撃でUAEに初の金メダルをもたらした、シェイク・アハメッド・ビン・ハシェル・アル・マクトゥーム(ドバイ首長、モハメッド殿下の親戚)のスピーチがありました。
「アテネで金メダルを獲得するまで、私は試行錯誤を繰り返しながらひたすら射撃に明け暮れる日々でした。しかしアテネ以後は、国民の私に対する尊敬の念と期待の大きさと同時に、国を代表する重圧と高陽感を強く感じずにはいられませんでした。そしてこれからは、自分の経験を生かして若い才能を発掘してサポートして行きたいと思います。
どうぞ皆さんの周囲に、兄弟でも隣人でも、スポーツに長けた、これはと思うような子供たちを見つけたら、ぜひ教えてください。我々は喜んで、彼らが学業を続けながら才能を伸ばしていけるような環境を用意し、経済的にもサポートして行きたいです。」
これは大変含蓄のある言葉です。UAEの人口の約80%が外国人労働者です。ローカル(UEAナショナル)は約20%、その中でオリンピックなど国際大会に出場できるのは、幼少時からスポーツの英才教育を受け、財力もある王族あるいは上流階級に限定されます。シェイク・アハメッドはメリットとデメリット、自らの経験から、すべての国民にスポーツの英才教育と、国際大会での活躍のチャンスを与えるべしと決意し、この発言になったと思われます。またそれは、ドバイ皇太子ハムダン殿下と父上のモハメッド殿下の願いでもあることも容易に理解できました。
今年の第三回会議は、9月14日の新シーズンからUAEリーグがプロ化されるのに合わせて、サッカーにスポットを当てたものになりました。フランス、オリンピック・リヨン会長、サウジアラビア、アル・イティハド前会長、イングランド、プレミア・リーグ会長、イタリア・サッカーの重鎮チェザーレ・マルディー二氏らとならび、日本からJリーグの山下氏と、JFAの鈴木氏が堂々の講演をし注目を浴びましたました。
ヨーロッパ、サッカー先進国のVIPたちの講演は、すでに完成された理想であり、大部分が過去の歴史や実績の羅列と自慢話で、なるほどと感心はさせられるものの、日本やアジアのサッカーがそのまま真似ても、今すぐ役立つような内容とは思えませんでした。実は、アル・シャバブ、アル・ワスルなどドバイのクラブと、UAEリーグが一番身近なお手本としているのが、何を隠そうJリーグなのです。
AFC副会長(前UAEサッカー協会会長)のユーセフ・アル・セルカル氏は、1年前このように私に語ってくれました。「私はJリーグが誕生した時からずーと注目し続けていました。以前私はアル・シャバブのGSでしたが、Jリーグをお手本にUAEリーグのプロ化を夢見てきました。そして夢はついに2008年9月実現することになりました。ドイツやイングランドのような長いサッカーの歴史ある国より、歴史の浅い日本がJリーグを創り上げ試行錯誤しながら運営して行き、上昇していく様に大変共感します。プロ化を推進するUAEとって、Jリーグは一番現実的で身近なお手本です。そして我々は同じアジアの仲間です。近い将来日本とUAEは最大のよきライバルとなることでしょう。」
(右)AFC副会長アル・セルカルさん
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MIYOKO Akiyama (2008-06-07)
■ 写真について MIYOKO Akiyama撮影





